長崎 おおむら よかトコなび

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稲田家家老屋敷跡

稲田家家老屋敷跡

基本情報

住所 大村市玖島2丁目
交通手段(アクセス) JR大村駅からバスで約10分(岩船バス停下車)、徒歩約1分
長崎自動車道大村インターから車で約20分
説明  この屋敷は、寛延3年(1750年)に元締役の稲田利左衛門が住んで以来、明治5年(1872年)に稲田又左衛門熈孚(ひろみち)が小迎村(西海市西彼町)の下屋敷に転居するまで122年の間、稲田氏の屋敷となりました。その後、稲毛惣左衛門(郷村記の編者)が譲り受けましたが、火災で全焼しました。その後は朝長慎三衆議院議員の所有となり、現在は別の個人宅となっています。
 郷村記によると「表口の長さ35間3尺(約64.5メートル)、面積は3反3畝(約3,270平方メートル)」とあります。庭園は10代藩主純昌の設計によるものです。書院の内部はすべて純昌の自筆の絵が描かれていました。これは火災になる前に下屋敷移されていたため焼失は免れました。
 天保年間(1830年~1844年)、朝川善庵(ぜんあん)・広瀬淡窓(たんそう)・広瀬旭荘(きょくそう)の学者などがたびたび訪ねました。淡窓は「大村候(純顕)は、実に礼儀正しく至れり尽くせりで、諸大名の中でも学問好きである。また、家老以下の重臣たちもみな主君に仕え、その中でも稲田又左衛門は最も温厚で家老としてふさわしい」と記しています。
 現在は、建物は残っておらず、高い石垣や堂々とした門の跡が残っています。
 ※現在は民家になっており公開されていません。

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